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「昔は良かったけれど、今はもう駄目だね…」
そんな嘆きが聞こえてくる商店街が、全国各地に増えつつあります。東京都、世田谷代田駅の商店街もそう。昭和38年に環状7号線が商店街を分断するように開通するまでは、140軒ものお店が並んでいましたが、経営難や、後継ぎがいないことも手伝い、今ではシャッター商店街となってしまいました。

しかしそんな世田谷代田に近年、新たな息吹が芽生え始めました。商店街にものの作り手と使い手を集めたイベント「世田谷代田ものこと祭り」が2011年にスタート。それ以降毎年開催され、今年で3年目を迎えました。イベントを通して町とつながり、移り住む若手クリエイターもじわじわと増えてきているそう。町が活気づいていく好ましい流れの原点はいったいどこにあるのでしょうか。

「世田谷代田ものこと祭り」の発起人であり、家具工房「monocoto」、ありがとうを届ける道具店「ダイタデシカ、」を営む南秀治さんにお話を伺いました。

閉店した商店のシャッターが1日だけ開く「世田谷代田ものこと祭り」

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「世田谷代田ものこと祭り」は毎年8月、世田谷代田駅周辺の商店街を中心に開催されます。すでに閉店してしまった商店を1日だけ借りて、全国から集った作り手がお店を開店します。

ガラス雑貨、木製品、陶器小物など丹念に手づくりされたものが並ぶショップの他にも、飲食、音楽ライブ、子どもが竹とんぼ作りを体験できるブースなどが設営され、大人から子どもまで楽しめるイベントです。

開催するごとに勢いを増し、今年は静岡、秋田、宮城などからも作り手が駆けつけ、約50組が出店。3000人を超える人が訪れました。

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商店街の近くにある代田八幡神社も会場の一つ。ただでさえぬめりがあり、掴みづらい秋田県の高級食材“じゅんさい”をあえて流すというお楽しみイベントも。

実行委員は家具屋である南さんを始め、クリエイティブディレクター、映像作家、パティシエなど個性的な顔ぶれがそろいますが、「商店街にかつての活気が戻ってほしい」という思いに共感し、活動は全てボランティア。地域の住人も、そうでない人も一丸となって作り上げています。

そんな「世田谷代田ものこと祭り」が始まったきっかけは、南さんがこの町で、人との関わり方を見つめ直す出会いがあったからでした。

お金ではなく、「ありがとう」で人と繋がりたい

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20代の頃の南さんはIT系の会社で営業をし、収入も多く、それなりに贅沢な暮らしをしていたそうです。しかし自分の仕事に対し、疑問を抱き始めます。

「ITの営業はお金のリターンが大きい分、自分の時間に占める仕事のボリュームもすごく大きくて。しかも自分の仕事の成果がどう世の中に役立っているのかがわかりづらいんですよね。そんな生き方を変えたいと思うようになりました。」

元々ものづくりが好きだった南さんは、直接お客さんの喜ぶ顔が見える家具屋さんになることを決意し、家具デザインの専門学校に通います。

卒業後は世田谷周辺で家具屋の物件探しをスタート。しかし騒音が出ることもあり、なかなか見つかりません。途方に暮れていた時に巡りあったのが、世田谷代田にある元クリーニング屋のおばあちゃんでした。とても応援し、快く場所を貸してくれたそうです。そして町の人々も温かく受け入れてくれたといいます。

「それまでの自分を振り返ると、人との関わりの8割以上が“お金”だったんですよね。お金を稼ぐために会社へ行く。会社からの評価を下げないためにお客さんと接する…。お金ありきのままだったら『安く場所を借りられてラッキー』と思うだけだったかな。でも大切にしたかったのは『ここに安く住まわせてもらって、家具屋の仕事を応援してくれてありがとう』という気持ち。このありがとうを僕が何か一つ形にすれば、次のありがとうがきっと生まれると思ったんです。」

南さんは当時一人暮らしをしていたおばあちゃんの様子を気にかけたり、どこかへ行くと必ずお土産を買っていったりするだけでなく、自分を受け入れてくれた町に対しても「ありがとう」を形にすることに。

以前から作り手が作りたいものと、使う人が求めているものとのギャップを感じていた南さんは、商店街に作り手と使い手が交流できる場を作ることを思いつき、開催したのが第1回「世田谷代田ものこと祭り」だったのです。

商店街の盛り上がりを確かなものにするために、ゆっくりと時間をかけたい

「町の人から『せっかく良い作品があるんだから、毎日見られる場所があってもいいんじゃない』という声があって。しかも商店街が本当の意味で元気になるには、ここでちゃんと生業ができることを証明しないといけないと思ったんです。これをマネするように色々なお店が増えて、楽しい商店街になってほしいですね。」

南さんは次の展開として、2014年6月、ありがとうを届ける道具店「ダイタデシカ、」をオープン。全国の作り手が手がけた選りすぐりの道具を揃えています。

「ダイタデシカ、」店内。食器やバッグなどの日用品からベビーグッズまで、作り手のぬくもりが感じられるものがたくさんあり、大切な人への贈り物を選びたくなります

「ダイタデシカ、」店内。食器やバッグなどの日用品からベビーグッズまで、作り手のぬくもりが感じられるものがたくさんあり、大切な人への贈り物を選びたくなります

次々とやりたいことを実現する南さんですが、結果は急がないように心がけているそうです。

「若い頃は短期的に多くの成果を求めていましたが、今は時間をかけた分だけ良いものが出来上がるし、そうやって出来たものは簡単には壊れないと信じています。」

南さんの考え方には、日本ミツバチを養蜂していたお父さんの影響がありました。

市場に多く出回るはちみつは、西洋ミツバチから採られたものだそう。日本ミツバチよりも身体が大きいため、生産量は5倍以上。さらに開花時期に合わせて南から北へ、トラックで蜂を移動させては蜜を作らせる方法をとると、年に何回も収穫できるのだとか。

それに対して南さんのお父さんは、移動は蜂のストレスになるため、同じ場所に留めて、蜜を作るのをひたすら待ちます。年に1回しか収穫出来ず、生産性は格段に下がりますが、1年間かけて作ったはちみつの方が不思議とえぐみがなく、まろやかで美味しいそうです。

「ものこと祭りも3年続けると、町の人たちの反応が全然違います。最初は斜に構える人もいたんですけど、今ではすごく応援してくれるようになって。これからも日本ミツバチ的な発想で、ゆっくりと時間をかけて、商店街を盛りあげていきたいです。」

感謝の気持ちを行動で表す。商店街の元気の源は意外とシンプル

世田谷代田のことを話す時、終始楽しそうな南さん

世田谷代田のことを話す時、終始楽しそうな南さん

世田谷代田は都心からそう遠くないところですが、おすそわけをもらったり、子どもの世話を近所のおじいちゃん、おばあちゃんがみてくれたり、そんな懐かしい風景が残っています。

「昔は絶対にありえなかったけど、駅まで向かう道で色んな人に会うので、気をつけないと遅刻しちゃう(笑)ご近所さんとの温かいコミュニケーションがある中で生活するのが、僕の理想の暮らし方なんでしょうね。それが叶って今とても幸せです。」

南さんはあまりに住み心地が良いので、その暮らしぶりをシェアしていると、なんと6人もの仲間が代田に引っ越してきたのだとか!仲間をどんどん巻き込み、町に良い変化を起こしていく南さんは、「まちづくりに一生懸命な人」という印象を持たれることも少なくないそうです。しかしそのような意識は一切ないといいます。

「お世話になっている人たちに対して、何かお返しできたらいいなぁぐらいにしか思っていないんです。感謝の気持ちを、その本人に対してではなくても、町に対して形にしていく。今度は新しく引っ越してきた彼らなりの『ここに住まわせてくれてありがとう』が始まります。それが連鎖していけば、自然と活気づくと思うんです。この商店街が『ありがとうストリート』と命名される、それが僕の夢見る10年後です。」

「ありがとう」が増えれば増えるほど元気になる、世田谷代田の商店街。
今日もどこかで元気の源が生まれているかもしれません。

 

<店舗DATA>
ダイタデシカ、
住所:東京都世田谷区代田5-9-7
TEL:03-6677-4394
営業日:金、土、日、月
営業時間: 13時〜20時
HP:http://www.daitadeshika.com/
Facebook: https://www.facebook.com/daitadeshika

家具工房 monocoto
住所:東京都世田谷区代田5-8-15
TEL: 080-6749-0010
営業日:土、日
営業時間: 11時〜17時(納品・イベント等で不在の場合があるため要連絡)
HP:http://www.mono-coto.jp/

文 / 石川円香
東京都在住のフリーライター。関心があるテーマは日本文化、伝統工芸、暮らし、健康。
人の想いがにじみ出る記事を心がけて執筆に励む。